1月24日のニュース
サファウィ・ラシドとディオン・コールズがタイ1部リーグデビュー!-第16節結果とハイライト映像
国内移籍や復帰が目立つ今季のMリーグ外国籍選手
インドFAがムルデカ大会出場を表明⁉︎

2月24日の今季の開幕までおよそ1ヶ月と迫ったマレーシアスーパーリーグ。各チームの戦力も揃いつつある一方で、プレシーズンキャンプも始まっています。国外キャンプ組の筆頭はジョホール・ダルル・タジムJDTは昨年に続き今年もアラブ首長国連邦のドバイでキャンプを行い、いずれもロシア1部のFCロストフ、FCロコモティフ・モスクワ、FCゼニト・サンクトペテルブルク、ブルガリア1部のPFCレフスキ・ソフィアといった強豪との対戦も組まれています。一方、クダ・ダルル・アマンFCはトルコキャンプで地元のクラブやウズベキスタンのクラブと、またスランゴールFCやサバFC、トレンガヌFCとスリ・パハンFCは隣国タイのキャンプを行います。

サファウィ・ラシドとディオン・コールズがタイ1部リーグデビュー!-第16節結果とハイライト映像

タイ1部リーグ 第16節
1月21日(土)@80周年スタジアム(ナコーンラーチャシーマー)
ナコーンラーチャシーマーFC 1-2 プラチュワップFC
プラチュワップFCのジュニオール・エルドストールはベンチ入りしませんでした。

1月21日(土)@ドラゴン・ソーラーパーク(ラーチャブリー)
ラーチャブリーFC 0-2 コーンケン・ユナイテッド
ラーチャブリーFCのサファウィ・ラシドは46分に交代出場し、ロスタイムにはあわやデビュー戦初ゴール!という場面がありましたが、VARによる判定で取り消しとなっています。
またサファウィ・ラシドとともにとともにラーチャブリーFCに期限付き移籍しているムサ・シディベは先発して、フル出場しています。
*これまでリリドン・クラスニキがコーンケン・ユナイテッド所属としてきましたが、Transfermarktによると昨年末で期限付き移籍期間が終了していました。

試合のハイライト映像はタイリーグの公式YouTubeチャンネルより

1月22日(日)@タレールアンスタジアム(スコータイ)
スコータイFC 0-3 ブリーラム・ユナイテッド
ディオン・コールズは先発してフル出場しています。

試合のハイライト映像はタイリーグの公式YouTubeチャンネルより
国内移籍や復帰が目立つ今季のMリーグ外国籍選手

2月24日の今季の開幕までおよそ1ヶ月と迫ったマレーシアスーパーリーグ。各チームの戦力も揃いつつありますが、その中で目立つのが、外国籍選手の国内移籍と復帰です。スーパーリーグの外国籍選手枠が昨季の5名から今季は一気に9名と爆増したことで、各チームが国内リーグで実績のある選手の確保に動いたのがその大きな理由だと考えられますが、昨季所属選手の契約延長も含め、今季は見慣れた顔が多いシーズンとなりそうです。

昨季チャンピオンのJDTはトップチームでプレーしたFWベルグソン・ダ・シルヴァ、FWフェルナンド・フォレスティエリ、MFレアンドロ・ヴァレスケス、DFシェーン・ローリー、DFカルリ・デ・ムルガの5名は残留する一方で、2019年・2020年にJDTでプレーしたFWジオゴ(前タイ1部BGパトゥム・ユナイテッド)と、昨季はペナンFCでプレーしたMFエンドリックを獲得しています。なお今季Mリーグ6年目で27歳のエンドリックは、同一国で5年間プレーすることで帰化選手として登録が可能となるFIFAの帰化選手規定を満たしていることから、マレーシア国籍を取得させて、マレーシア人選手登録を視野に入れての獲得です。

トミスラフ・スタインブリュックナー新監督が就任した昨季2位のトレンガヌFCは、MFハビブ・ハルーンや、セカンドチームでプレーしていたDFアルグジム・レゾヴィッチ、KLシティFCに期限付き移籍していたFWジョーダン・ミンターが残留する一方で、昨季まで3季に渡ってマラッカ・ユナイテッドでプレーしたFWソニー・ノルデを獲得しています。

退団した加賀山泰毅選手ら以外の3名が残留した昨季3位のサバFCは、Mリーグ2部プレミアリーグのクランタン・ユナイテッドFCでプレーしたFWジェイコブ・ンジョクを、また6位のKLシティは昨季スランゴールFCでプレーしたFWカイオンとトレンガヌFCプレーしたチェチェ・キプレ、さらに2019年にマラッカ・ユナイテッドでプレーしたパトリック・ライヒェルトを獲得しています。

また7位のスリ・パハンFCはクパー・シャーマン(トレンガヌFCから移籍)、ルーカス・シルヴァ(ペナンFCから移籍)の両FWを、8位のクダ・ダルル・アマンFCはマヌエル・イダルゴ(スリ・パハンから移籍)とマヌエル・オット(トレンガヌFCから移籍)の両MFを獲得、また12位のペナンFCはFWアドリアーノ(マラッカFCから移籍)と2021年にやはりマラッカ・ユナイテッドでプレーしたFWジオバネ・ゴメス、そして2020年にUITM FCでプレーしたMFウスマン・ファネを獲得しています。さらに昨季2部のPDRM FCには昨年前半までプレーした鈴木ブルーノ選手が復帰しています。

インドFAがムルデカ大会出場を表明⁉︎

先日のこのブログでは今年9月に開催予定のムルデカ大会について、マレーシアサッカー協会FAMが10年ぶりに開催するこの招待大会にはマレーシアよりFIFAランクが上位の3チームを招く予定があるという記事を取り上げました。第42回大会となる今年の大会は4チームによる準決勝と決勝、3位決定戦という形式で行われる予定で、FAMは東南アジアのタイやベトナム、中東のシリアやパレスチナを候補に招待交渉を行う予定のようです。そんな中、インドサッカー協会の事務局長がこのムルデカ大会参加を表明しています。。

インドサッカー協会AIFFのシャジ・プラバカラン事務局長は自身のツイッターで、マレーシアサッカー協会のハミディン・アミン会長と「実りのある」話し合いを既に行なったとして、インド代表のムルデカ大会出場を表明しています。なおこの記事の執筆時点では、マレーシアサッカー協会FAMからの正式発表はありませんが、FIFAランキング104位のインドは、FAMが予定しているマレーシアのFIFAランキング154位より上の国を招待したい、という条件を満たしています。

しかしなぜ、インドがこれほどムルデカ大会参加に積極的なのかには疑問が残りますが、実はこの話には伏線があるようです。サッカー専門サイトのスムアニャボラによると、インドサッカー協会AIFFは予定されていた役員選挙が協会内の混乱で延期され、これを受けたインド最高裁が昨年5月にAIFFの解散と、国内サッカーの統括などを行う特別委員会の設置を命令しましたが、FIFAはこれが「第三者による過度の介入」でありFIFAの規約に抵触するとして、8月にAIFFの資格を停止するという処分を下しました。その後、インド最高裁は日常業務の管理を特別委員会からAIFFに戻されると発表し、AIFFの新会長にカリヤーン・チョーベー氏が就任しました。

そしてチョーベーAIFF会長が昨年10月ごろに提案したのが、1950年代から60年代にかけてインド代表が出場していたこのムルデカ大会の復活だったようです。しかしながら、FAMがAIFFからそういった提案を受けていたにもかかわらず、ムルでか大会再開が決まり、その招待国の候補にインドが上がらなかったことから、インド国内のサッカーファンからは不満や批判の声が上がっていたようです。このため、そういった声を鎮静化するため、そしてAIFFの本気度を示すためのプラバカラン事務局長のツイートとなったようです。

*****

ムルデカ大会の招待国の候補が明らかになった際には、隣国インドネシアからも失望の声が上がっているようです。サッカー専門サイトのハリマウマラヤによると、ベトナムやタイと同様にAFC選手権アジアカップ2023本戦の出場を決めているインドネシアがムルデカ大会が招待国の候補に入っていないことが国内メディアで取り上げられており、1961年、1962年、1969年と3度の優勝を誇るインドネシアは、マレーシアにとっては「強豪」と見なされていないのか、という失望のようです。
 そしてこういった各国の反応を見ると、この歴史ある大会の重みを理解していないのは、実はマレーシアサッカー協会FAMそのものだったのかもしれません。

1月18日のニュース
昨季給料未払いが続くサラワクUの選手らが青年スポーツ相に仲裁を直訴
今年復活のムルデカ大会出場国にシリアとパレスチナが浮上
タイ1部ラーチャブリーFC移籍のサファウィ・ラシドが入団会見

昨季給料未払いが続くサラワクUの選手らが青年スポーツ相に仲裁を直訴

給料未払い問題を理由に今季の国内クラブライセンスが交付されず、Mリーグ1部スーパーリーグに参加できなくなったサラワク・ユナイテッドFCは、今季はMリーグ3部に当たるセミプロリーグのM3リーグで再出発することが発表されていますが、このサラワク・ユナイテッドで昨季プレーした選手や監督、コーチに対し、給料3ヶ月分が未だ未払いになっていると、英字紙スターが報じています。

選手や首脳陣による合同声明によると、クラブは完済を約束したにもかかわらず、3ヶ月分の給料や出場・勝利給を未だ支払っておらず、中には4ヶ月分の給料が未払いとなっていくケースも含まれているということです。なお、クラブは未払い給料を昨年12月末までに完済することを口頭でだけでなく、文書でも確約したにもかかわらず、既に年も明け、未だ何の進展もないことから、この状況を明らかにするとともに、この問題についてハンナ・ヨー青年スポーツ相による仲裁を求めたいとしています。

今年復活のムルデカ大会出場国にシリアとパレスチナが浮上

マレーシアの独立(マレーシア語で「ムルデカ」)を記念して1957年に第1回大会が開催されたムルデカ大会はこれまでに41回開催された、アジアでも最古の国際招待大会の一つで、かつては日本代表も何度も出場しています。今年9月に実に10年ぶりに復活するムルデカ大会について、これを主催するマレーシアサッカー協会FAMは西アジアから1カ国、東南アジアから2カ国を招待し、出場4カ国で開催することを検討していると、マレーシア語紙ブリタハリアンが報じています。

この記事では西アジアの国としてシリア(直近のFIFAランキング90位)とパレスチナ(同93位)、また東南アジアの国としてはベトナム(同96位)とタイ(同111位)が招待国の候補に上がっているとしています。

この記事の中で、FAM競技委員会のフィルダウス・モハメド委員長は、現在FIFAランキング145位のマレーシアは、FIFAの国際マッチデー期間に開催予定のムルデカ大会では格上のチームとの対戦を希望しており、マレーシア代表はこの大会を来年2024年1月にカタールで開催されるAFCアジアカップへ向けての準備の一貫として使用する目的だと述べています。またこのムルデカ大会の試合形式については、4チームによる準決勝の後、準決勝の勝者は決勝を、敗者は3位決定戦を行うことで、各チームが2試合ずつ行える形式になるだろうとも述べています。

タイ1部ラーチャブリーFC移籍のサファウィ・ラシドが入団会見


タイ1部リーグのラーチャブリーFCは、Mリーグ1部スーパーリーグのジョホール・ダルル・タジムJDTからいずれも期限付き移籍したマレーシア代表FWサファウィ・ラシドとマリ代表FWムサ・シディベの入団会見を行っています。

記者会見の席では、15歳で本格的にサッカーを始めた頃からタイリーグでプレーしてみたいと思っていたと話したサファウィ選手はその夢が実現したことを喜んでいると述べています。

ラーチャブリーFCには、いずれも三菱電機カップ2022に出場したミャンマー代表のGKミョー・ミン・ラット、DFハイン・ピョー・ウィン、DFナンダ・チョーが東南アジア(アセアン)枠の選手として在籍しており、サファウィ選手は、まず彼らとの出場権争いに勝利することが目標となります。

*****

東南アジアサッカー連盟AFF選手権三菱電気カップ2022により11月下旬から中断していたタイ1部リーグは今週末1月21日(土)に再開します、サファウィ選手が加入したラーチャブリーFCは15試合を終えて8勝5分け2敗で、リーグ首位のブリーラム・ユナイテッドFCとは勝点差10の3位につけています。また1月21日の試合で対戦するコーンケン・ユナイテッドFCには、元JDTでマレーシア代表でもプレー経験があるリリドン・クラスニキも在籍しており、サファウィ選手とのマレーシア選手対決がいきなり見られるかもしれません。

なおサファウィ選手は、2020年にポルトガル1部のポルティモネンセSCにやはり期限付き移籍しながら、トップチームはおろか、セカンドチームでもほとんど出場機会を得られず、1年も経たずに退団、帰国した苦い経験もあります。その後はJDTでもレギュラーの座を昨季2年連続リーグMVPを獲得したアリフ・アイマンに奪われ、出場機会が激減し、先日マレーシア代表として出場した三菱電気カップ2022でも、かつてのような輝きは見ることができませんでした。まずは試合出場、そしてクラブで主力となることで、代表でも再びその勇姿が見られるのではないかとボラセパマレーシアJPは期待を寄せています。

1月6日のニュース
帰化選手リー・タックがクダと契約もスリ・パハンサポーターの怒りを買う
ムルデカ大会の10年ぶり開催が決定

東南アジアサッカー連盟選手権三菱電機カップ2022では、シンガポールに快勝し、2大会ぶりの準決勝進出を決めたマレーシア。今週土曜日1月9日にブキ・ジャリル競技場で行われる準決勝ファーストレグのチケットが完売したことをマレーシアサッカー協会FAMが公式SNSで告知しています。東南アジアでも最大級の観客収容数を誇るブキ・ジャリル国立競技場の収容人数は8万7000名ですが、FAMのSNSでは5万9000枚の時点で札止めとなっています。
 タイ戦の6日後の1月15日には、台湾出身でいわゆるマンドポップのスーパースター、ジェイ・チョウがこのブキ・ジャリル国立競技場でコンサートを行いますが、そのためのステージ設営におよそ2万1000人分の座席があるエリアが必要であることから、今週末のタイ戦のチケットは5万9000枚飲み販売となっているとFAMは説明しています。
 これを受けてチケットが入手できなかったファンの中には、ジェイ・チュウのSNSに否定的なコメントを投稿するといった全く筋違いな行動に出る者もいるようです。

帰化選手リー・タックがクダと契約もスリ・パハンサポーターの怒りを買う

英国出身のリー・タックは、マレーシア国内で5年以上継続してプレーし、FIFAの帰化選手としての登録要件を満たしたことから、所属するMリーグ1部スーパーリーグのスリ・パハンの支援もあり、昨年マレーシア国籍を取得しています。
 タック選手は帰化申請中だった昨季のリーグ戦ではスリ・パハンの外国籍選手枠が埋まっていたこともあり、出場機会がありませんでしたが、マレーシア国籍取得と同時にマレーシア人選手としての登録が可能となったリーグ戦終了後のマレーシアカップでは一回戦のトレンガヌ戦でゴールを挙げるなど活躍しています。
 さらにマレーシア国籍取得によりマレーシア代表でのプレーが可能になると、キム・パンゴン監督は早速、東南アジアサッカー連盟AFF選手権三菱電機カップに出場する代表に招集しています。
 国籍取得からは順風満帆に見えるタック選手ですが、現在、スリ・パハンサポーターの怒りを買っていると、英字紙スターが報じています。
 その理由はタック選手がスリ・パハンではなく、同じスーパーリーグのクダと契約をしたことにあります。スリ・パハンに在籍していた際には、クラブの支援によりマレーシア国籍を取得したにもかかわらず、クダと契約したことはスリ・パハンに対して後足で砂をかけるような行為であるというのが非難の内容です。
 この非難に対してタック選手は、スリ・パハンで今季もプレーしたかったものの、下交渉で同意できず、結局はクラブからの契約オファーがなかったことが、移籍を決断した理由だったと話しています。給料の削減を自ら申し出たにもかかわらず、正式なオファーがなく、将来が不安になったと話す話すタック選手は、今ではクダへの移籍は正しい決断だったとスターの取材に答えています。
 スリ・パハンは以前にもマレーシア国籍取得を支援したガンビア出身のムハマドゥ・スマレー(現JDT)にも「逃げられて」います。

ムルデカ大会の10年ぶり開催が決定

英字紙ニューストレイトタイムズは、今年2023年がマレーシアサッカー協会FAMの設立90周年となることから、この記念行事の一つとして、今年10月にムルデカ大会が10年ぶりに開催されるというFAMのノー・アズマン事務局長の発言を報じています。
 マレーシアの独立(マレーシア語でムルデカ)を記念し、1957年に始まったこのムルデカ大会は、これまでに41回開催されていますが、近年はマレーシア代表が弱くなったこともあり、2014年大会を最後に開催されていませんでした。
 ノー・アズマン事務局長は、このムルデカ大会を今年年末あるいは来年初頭に開催されるAFC選手権アジアカップ2023(カタール)に向けた準備の一環として開催する予定であると話しています。

*****

1957年に始まったこの大会は東南アジア最古の国際親善大会(およそ10年後にはタイでキングスカップが始まっています)として、北米を除く世界各地のクラブチームや代表チームが出場しています。第1回大会(1957年)の出場チームを見ると、マラヤ連邦の他は香港リーグ選抜、カンボジア、南ベトナム、シンガポール、インドネシア、タイ、ビルマとなっています。南ベトナム(現ベトナム)、ビルマ(現ミャンマー)といった国名に歴史を感じます。
 ちなみに日本もこのムルデカ大会に何度も出場しており、初めてムルデカ大会に出場したのは 1959年の第3回大会で、この時は1回戦で香港リーグ選抜と引き分け、再戦では2-5で敗れて2回戦に進めずに終わっています。日本代表の試合結果が掲載されている日本サッカー協会JFAのホームページによれば、敗れた香港戦での2ゴールはいずれも当時早稲田大学2年生だった(!)川淵三郎初代Jリーグチェアマンが決めています。
 ムルデカ大会での日本の最高成績は1963年に開催された第7回大会と1976年に開催されたでの準優勝です。いずれも7チームの1回戦総当たり方式で開催された両大会で、第7回大会は6試合で4勝1分1敗、優勝した台湾に0-2で敗れ、第20回大会では6試合で2勝4分0敗、決勝戦では優勝したマレーシアに0-2で敗れています。
 また日本が最後にムルデカ大会に出場したのは1986年の第30回大会でした。グループステージではチェコのSKシグマ・オロモウツに敗れてグループステージB組2位にとなった日本は、準決勝でA組1位のマレーシアと対戦し1-2で敗れています。ちなみにこの試合で日本のゴールを決めたのが「アジアの核弾頭」(ちょっと古いか)原博美選手で、マレーシアの2ゴールはMリーグ1部スーパーリーグで昨季ペナンの監督を務めたザイナル・アビディン・ハサンと同じスーパーリーグのスリ・パハンで監督を務めたドラー・サレーでした。日本は1985年から名称が変わったキリンカップを使って自国開催大会での代表強化に舵を切りつつあったことから、この大会を最後にムルデカ大会には出場していません。
 前述の川淵三郎氏や原博美氏の他、奥寺康彦選手らも出場しているこの大会は、車範根(チャ・ブンクン、韓国)やフセイン・サイード(イラク)などアジアのスーパースターも多く出場した大会でもありました。

*****

ちなみに私が初めて観戦したムルデカ大会が1988年の第32回大会でした。この32回大会の大会プログラムの表紙の写真をお見せしますが、タバコブランドのダンヒルが大会のスポンサーという、今では考えられない、古き良き時代だったことがわかります。


この32回大会の日程と出場国は以下の通りでした。

今では考えられませんが、ムルデカ大会やキリンカップなどの当時の国際大会は、ナショナルチームとクラブチームが混在する大会でした。この第32回大会も上の出場国中、オーストリアはFCチロル・インスブルック(この記事を書くために調べたところ、2002年に破産し、解散していました。)、ドイツはハンブルガーSVが出場しています。下がハンブルガーSVの紹介ページですが、マンフレート・カルツや、後にJリーグ浦和でプレーするウーベ・バイン、当時はまだ20歳のオリバー・ビアホフなどの名前が見えるのが興味深いです。

そしてこの大会のマレーシア代表のメンバー。なお、チームマネージャは当時のパハン州皇太子、現在はパハン州のスルタン(州王)で現在のマレーシア国王でもあるアブドラ国王です。


そんなムルデカ大会ですが、1990年代に入りアジアの各国代表がFIFAワールドカップやAFCアジアカップの予選などに注力するようになると、1957年の第1回から毎年開れた大会が隔年開催となり、またホストのマレーシア代表が弱くなったこともあり、参加するチームも東南アジアの代表チーム、さらにA代表ではなくU23代表の大会になるなど大会の「格」も下がり、2013年にタイ選抜、ミャンマー、シンガポールを招いて行われた第41回大会を最後に開かれていませんでした。(この記事は昨年8月31日の記事を一部再構成して使っています。)

 

8月31日のニュース
今日は独立記念日と言うことでムルデカ大会について書いてみます

今日8月31日は独立記念日、マレーシア語でハリ・ムルデカ(ハリは「日」、ムルデカは「独立」)で、マレーシア国民の祝日になっており、各地で記念パレードなども行われています。ただわかりにくいのは、今日はマレーシアの独立記念日ではないと言うこと。英国の植民地だったマレー半島、いわゆる「英領マラヤ」が1957年8月31日に英国から「マラヤ連邦」として独立したことを記念する日です。しかし現在のマレーシアは、マレー半島に加えてボルネオ島のサバ、サラワクで構成されており、マレーシアが成立するのは1963年9月16日なので、サバ、サラワクにとってこの8月31日は特に意味がある日ではなく、祝賀ムードも半頭部とは温度差があります。(ただし、英領マラヤ同様、英国の直轄地となっていたサバは、1963年のマレーシア成立に合わせて、1963年8月31日に英国から自治権を回復しているので、8月31日はサバの独立記念日として祝われます。)

前置きが長くなってしまいましたが、独立記念日がマレーシア語で「ハリ・ムルデカ」と聞いて、「ん、ムルデカ?どこかで聞いたことがあるぞ。」と思った年配のサッカーファンがいるかも知れません。それが、かつては日本代表も出場していた「ムルデカ大会」です。1957年のマラヤ連邦独立を記念して第1回大会が開かれたこの大会は、マラヤ連邦初代首相でもあり、同時期にマラヤサッカー協会(現マレーシアサッカー協会)FAM会長でもあったトゥンク・アブドル・ラーマンの肝煎りで始まった国際親善サッカー大会です。

そしてムルデカ大会が開催されたのがクアラルンプールにあるムルデカ・スタジアムです。1957年にマラヤ連邦の独立が宣言された、マレーシアの歴史にとっても重要な場所でもあるムルデカ・スタジアムは1998年にブキ・ジャリル国立競技場(クアラルンプール)ができるまでは、代表チームの本拠地でもありました。ムルデカ大会の他、オリンピック予選などでも使わレ、さまざまなドラマの舞台となったムルデカ・スタジアムですが、残念ながら現在は使用されていません。

話をムルデカ大会に戻しましょう。1957年に始まったこの大会は東南アジア最古の国際親善大会(およそ10年後にはタイでキングスカップが始まっています)として、北米を除く世界各地のクラブチームや代表チームが出場しています。第1回大会(1957年)の出場チームを見ると、マラヤ連邦の他は香港リーグ選抜、カンボジア、南ベトナム、シンガポール、インドネシア、タイ、ビルマとなっています。南ベトナム(現ベトナム)、ビルマ(現ミャンマー)といった国名に歴史を感じます。

日本が初めてムルデカ大会に出場したのは 1959年の第3回大会で、この時は1回戦で香港リーグ選抜と引き分け、再戦では2-5で敗れて2回戦に進めずに終わっています。日本代表の試合結果が掲載されている日本サッカー協会JFAのホームページによれば、敗れた香港戦での2ゴールはいずれも当時早稲田大学2年生だった(!)川淵三郎氏が決めています。

日本の最高成績は1963年に開催された第7回大会と1976年に開催されたでの準優勝です。いずれも7チームの1回戦総当たり方式で開催された両大会で、第7回大会は6試合で4勝1分1敗、優勝した台湾に0-2で敗れ、第20回大会では6試合で2勝4分0敗、決勝戦では優勝したマレーシアに0-2で敗れています。

また日本が最後にムルデカ大会に出場したのは1986年の第30回大会で、グループステージではチェコのSKシグマ・オロモウツに敗れてグループステージB組2位にとなった日本は、準決勝でA組1位のマレーシアと対戦し1-2で敗れています。ちなみにこの試合で日本のゴールを決めたのが「アジアの核弾頭」(ちょっと古いかな)原博美、マレーシアの2ゴールはMリーグ1部スーパーリーグのペナンで監督を務めるザイナル・アビディン・ハサンと同じスーパーリーグのスリ・パハンで監督を務めるドラー・サレーでした。日本はこの後、1985年から名称が変わったキリンカップを使って自国開催大会を使っての代表強化に舵を切りつつあったことから

そして私が始めた観戦したムルデカ大会が1988年の第32回大会でした。先日、本棚を整理していたらこの32回大会の大会プログラムが出てきましたので、まずは表紙の写真をお見せします。タバコブランドのダンヒルが大会のスポンサーと言う、今では考えられない、古き良き時代でした。

この32回大会の日程と出場国は以下の通りでした。

今では考えられませんが、ムルデカ大会やキリンカップなどの当時の国際大会は、ナショナルチームとクラブチームが混在する大会でした。この大会も上の出場国中、オーストリアはFCチロル・インスブルック(この記事を書くために調べたところ、2002年に破産し、解散していました。)、ドイツはハンブルガーSVがその肩書きで出場しています。下がハンブルガーSVの紹介ページですが、マンフレート・カルツ、後にJリーグ浦和でプレーするウーベ・バイン、当時はまだ20歳のオリバー・ビアホフなどの名前が見えるのが興味深いです。


そしてマレーシア代表。なお、チームマネージャは当時のパハン州皇太子、現在はパハン州のスルタンで現在のマレーシア国王でもあります。

そんなムルデカ大会ですが、1990年代に入りアジアの各国代表がFIFAワールドカップやAFCアジアカップの予選などに注力するようになると、1957年の第1回から毎年開れた大会が隔年開催となり、さらに参加するチームも東南アジアの代表チーム、さらにA代表ではなくU23代表の大会になるなど大会の「格」も下がり、2013年にタイ選抜、ミャンマー、シンガポールを招いて行われた第41回大会を最後に開かれていません。

後発のキングスカップやキリンカップが続いている一方で、アジア最古の大会とも言えるムルデカ大会が開催されないのは、大会そのものの魅力の低下による観客減、代表チームやクラブチームの日程の過密化など、様々な要因がありますが、何と言っても代表チームの弱体化が大きな理由でしょう。つまり、直近のFIFAランキングで147位のマレーシアが主催する大会に出場したいナショナルチームがどれだけあるのか、と考えるとムルデカ大会が再び開催されることはもうないのかも知れないと、65回目のハリ・ムルデカに思いました。

3月30日のニュース
日本がベトナムに勝てなかったのはムルデカ大会以来らしいですが、ムルデカ大会をご存知ですか

東南アジアの雄、ベトナムがW杯アジア最終予選で日本と引き分け、中国戦での勝利に続き、勝ち点を上げています。日本がベトナムと引き分け以下に終わったのは、1961年のムルデカ大会で南ベトナムに2-3で敗れて以来、実に61年ぶりと言うことですが、ベトナムの勝利のおかげでムルデカ大会まで引き合いに出されるのは嬉しいですね。

ムルデカ大会は、マレーシアの首都、クアラルンプールにあるムルデカスタジアムを会場に開催されてきた国際大会です。近年のマレーシア代表の弱体化もあり、2013年からは開催されていませんが、この大会はマラヤ連邦(現在のマレーシア)の英国からの独立を記念して1957年から始まった歴史のある国際大会です。(ムルデカはマレーシア語で「独立」の意味です。)

日本代表の戦績アーカイブによると、1959年の第3回大会に初出場した日本は川淵三郎氏や平木隆三氏、宮本征勝氏を擁して予選ラウンドに臨みましたが、香港選抜と1-1で引き分け、その後の再戦では1-4で敗れ、決勝トーナメントには進めませんでした。ちなみにこの年のムルデカ大会は、その香港選抜や南ベトナム(まだベトナムが南北分断されていたため。現在のベトナム社会主義共和国区に統一されるのは1976年)に勝利し、インドと引き分けたマラヤ連邦が優勝を飾っています。

このムルデカ大会での日本の最高成績は1963年と1975年の準優勝で、1963年には台湾に、1976年にはマレーシアにいずれも0-2で敗れています。1963年のチームは長沼健監督以下、杉山隆一氏、松本育夫氏らが、また1975年のチームは二宮寛監督、釜本邦茂主将以下、奥寺康彦氏、清雲栄純氏、田口光久氏、永井良和氏らを要するチームでした。当時のメンバーの中には鬼籍に入った方もいらっしゃるので、まさに歴史が感じられる大会です。

日本がこのムルデカ大会に最後に出場したのは1986年ですが、石井義信監督が率いたこのときのチームには木村和司主将以下、松木安太郎、柱谷幸一、都並敏史の各氏ら錚々たるメンバーを擁しています。準決勝でマレーシアと対戦し、アジアの核弾頭こと原博美氏のゴールで先制した日本に対し、昨季はマラッカ・ユナイテッドの監督を務めたザイナル・アビディン氏のゴールで追いつき、やはり昨季はスリ・パハンの監督を務めたドラー・サレー氏のゴールで逆転勝利を飾っています。

このほか、ムルデカ大会関連では、釜本邦茂氏が大会通算ゴール数2位となる22ゴール(出場18試合)も記録しています。

ムルデカ大会に10年ほど遅れて始まった同様の国際招待大会であるタイのキングズカップはリブランディングに成功して、現在も国際大会として開催されています。現在の154位というマレーシアのFIFAランクでは、招待してもなかなか強豪国は参加してくれないでしょうが、それでも伝統あるこのムルデカ大会を是非、復活させてもらいたいと思います。

1月28日のニュース:スランゴールFCにスイス出身MFが加入、スランゴールFCのナイジェリア出身FWがアジア枠に変更か、スリ・パハンFC前監督がチームマネージャーに就任、マレーシアでも故ベングロシュ氏を悼む声

スランゴールFCにスイス出身MFが加入
 Mリーグ1部のスランゴールFCは公式サイト上で、スイス出身のMFオリヴァー・バフと契約したことを発表しています。
 U15からU21スイス代表でのプレー経験があるバフ選手は、2012年のロンドンオリンピック出場経験がある他、2009年のU17W杯で優勝したスイスU17代表のメンバーとして、大会7試合中6試合に出場しています。
 28歳のバフ選手はFCチューリッヒのユース出身で、2010年から2017年までトップチームでプレーした後、スペイン2部リーグのレアル・サラゴザ、キプロス1部リーグのアノルトシス・ファマグスタ、スイス2部グラスホッパー・クラブ・チューリッヒを経て、スランゴールFCに加入しています。
 アジアでプレーするのは今回が初めてのバフ選手はスランゴールFCからオファーを受けた後、カルステン・ナイチェル監督、そしてマイケル・ファイヒテンバイナーTD(テクニカルダイレクター)と話をする機会があり、2人からクラブの今後の計画を聞いた上で入団を決めたことも明かしています。
 またナイチェル監督もかつて自身が監督を務めていたドイツのクラブでこのバフ選手を獲得しようとしたものの実現しなかったこと、そしてFCチューリッヒ時代からバフ選手に関心を持っていたことを明かした上で「状況判断力があり攻守ともに質が高いバフ選手はスランゴールFCの若い選手の良い手本となりうる。スランゴールFCでは持てる力を全て発揮してほしい。」と話しています。

スランゴールFCのナイジェリア出身FWがアジア枠に変更か
 同じスランゴールFCのナイジェリア出身FWイフェダヨ・オモスイが、今季2021年シーズンはアジア枠外国籍選手として登録される可能性をスポーツ専門サイトのスタジアムアストロが報じています。
 スランゴールFCを運営するスランゴール州サッカー協会のシャーリル・モクタル会長代理によると、昨季のMリーグ1部の得点王でもあるイフェダヨ選手は現在、バーレーン国政機獲得の手続きを行なっているということです。これが実現すれば、アジアサッカー連盟のメンバーであるバーレーン国籍保持者はアジア枠外国籍選手としての登録が可能となります。
 スランゴールFCの今季の外国籍選手はこのイフェダヨ選手の他、上の記事で取り上げたバフ選手、ドイツ出身のDFティム・ホイバッハ、スリ・パハンから加入したアセアン東南アジア枠のMFサフアン・バハルディン(シンガポール)の4名が確定していますが、イフェダヨ選手がアジア枠となれば欧州やアフリカ、あるいは南米出身の選手の獲得も可能になります。

スリ・パハンFC前監督がチームマネージャーに就任
 Mリーグ1部のスリ・パハンFC(前パハンFA)は元アメリカ代表主将としてW杯出場経験もあるトーマス・ドゥーリー新監督が就任しましたが、昨季まで監督を務めたドラー・されー前監督は今季からスリ・パハンFCのチームマネージャーに就任すると、マレーシア語紙ハリアンメトロ電子版が報じています。
 スリ・パハンFCのモハマド・スフィアン・アワンCEOは2人の「レジェンド」が協力することで、チームに好影響がもたらされることを期待していると話しています。「2人はいずれも選手として国際舞台も含めた豊富な経験を持っており、外国籍選手を含めた選手の力を引き出してくれるだろう。」と期待を述べています。
 選手として2大会のW杯出場の他、アメリカ代表のアシスタントコーチやフィリピン代表監督の経験もあるドゥーリー新監督に対して、ドラー前監督は選手としてはマレーシア代表として74試合に出場、監督としてはMリーグの複数クラブの他、マレーシア代表監督として58試合を指揮した経験を持っています。

マレーシアでも故ベングロシュ氏を悼む声
 2002年にジェフユナイテッド市原(現ジェフユナイテッド市原・千葉)を指揮したジョゼフ・ベングロシュ氏の訃報が報じられています。1月26日にスロヴァキアサッカー協会が公式サイトで発表したベングロシュ氏死去のニュースを報じる日本のメディアではその記述が全く見つけられませんでしたが、故ベングロシュ氏はかつてクアラルンプールFA(現クアラルンプール・ユナイテッドFC)やマレーシア代表で監督を務めた経験もあり、当時を知る人々からベングロシュ氏を悼む声が上がっていることをマレーシアの通信社ブルナマが報じています。
 1985年にクアラルンプールFAの監督に就任したベングロシュ氏は1986年にクラブ初タイトルとなるMリーグ1部優勝をもたらすと、そのまま代表監督に就任し、同じ1986年には日本も出場したムルデカ大会で優勝を果たしています。しかし期待されて臨んだ同1986年の韓国ソウルでのアジア大会では1分2敗の成績でグループステージを突破できませんでした。
 ベングロシュ氏が監督時代にクアラルンプールFAの主将を務めていたタン・シュウセン氏は「ベングロシュ氏の練習方法は単純明快で理解がしやすい上、性格の良さもあって選手たちはまずベングロシュ氏を敬意を持って受け入れ、彼のことがより詳しく理解できるようになると、今度は選手は父親のように慕う存在になった。その結果として、チームは彼の持ち込んだ練習方法や彼の知識を素直に受け入れ、それが1986年の初優勝に結びついた。」と話しています。
 また現在はMリーグ1部PJシティFCのU21チームの監督を務めるグナラン・カルピア氏はクアラルンプールFAと代表の両方でベングロシュ氏の指導を受けており、その思い出として時間に厳格だったことが印象に残っていると話し、ベングロシュ氏がクアラルンプールFA監督を務めた期間は2年弱ながら、チームに近代サッカーをもたらすという遺産を残したおかげで、彼がクラブを去り代表監督となった後も、クアラルンプールFAは1987年までマレーシアカップを3連覇することができたとも話しています。
(下はクアラルンプール・ユナイテッドFCの公式Facebookに投稿された追悼メッセージ)


3月28日のニュース:エアマリンカップを振り返って(1)開催までの騒動編

アジアサッカー連盟AFC U23選手権予選の同時期にひっそり行われたエアマリンカップ。フル代表はいきなりシンガポール代表に破れたものの、最後はアフガニスタン代表に勝って、何とか3位に滑り込みました。今更ながら、このエアマリンカップを、それに関する報道をもとに振り返ってみたいと思います。
 そもそもこのエアマリンカップ開催の目的は、今年から始まるFIFAワールドカップ2022年大会のアジア予選と関係があります。FIFAランキングでアジア34位以上のチームは9月の2次予選から登場しますが、35位以下のチームは6月の1次予選からの登場となりますが、現在のマレーシアのFIFAランキングはそのボーダーであるアジア35位(全体では167位)。そこでランキング上位のチームと対戦して勝利し、9月の2次予選からの参加を目論んで企画された大会です。しかしこのエアマリンカップは予定が発表された以来、紆余曲折を経て開催された大会となりました。

<大会名称と開催時期の変遷>
1957年に当時のマラヤ連邦(現在のマレーシア)の初代首相であり、当時のマレーシアサッカー協会FAMの会長でもあったトゥンク・アブドル・ラーマンの発案で、マラヤ連邦がイギリスから独立したことを記念して開催されたムルデカ大会(「ムルデカ」とはマレーシア語で「独立」の意)は、アジアで最古の招待大会とされ、かつては世界の強豪が参加する大会でした。日本代表も初代Jリーグチェアマンの川淵三郎氏を始め、現日本サッカー協会JFA会長の田島幸三氏、日本サッカー界のレジェンド釜本邦茂氏、奥寺康彦氏、木村和司氏などが参加した由緒ある大会です。日本代表の最後の出場となった1986年の第30回大会では、マレーシア代表と日本代表が準決勝で対戦し、現在はパハンFAのドラー・サレー監督と、同じくマラッカ・ユナイテッドのザイナル・アビディン・ハサン監督がそれぞれゴールを決めてマレーシアが日本を2-1で破っています(ちなみに日本の得点者は当時「アジアの核弾頭」の異名をとった原博実元FC東京監督)。
 前置きが長くなりましたが、このムルデカ大会はマレーシア代表の弱体化と共に以前のような輝きを失っていき、最後に開催されたのは2013年で、その際もマレーシア、タイ、ミャンマー、シンガポールといった東南アジアのチーム同士の大会で、しかも東南アジアのチームにとっては重要な大会である東南アジア競技大会が開催される年でもあったことから、タイを除く3チームはU23代表が参加する地味な大会でした。
 5年間行われていなかったこのムルデカ大会を、かつてのような強豪が参加する大会として行いたいと、マレーシアサッカー協会FAMのダト・ハミディン・アミン会長が初めて発言したのが、2018年の12月初旬でした。ハミディン会長は当地の英字紙ニューストレイトタイムズとのインタビューで、FIFAワールドカップ2022年大会の予選が2019年半ばに始まることから、8月31日の独立記念日近辺での開催はワールドカップ予選時期に近く難しいこと、またFIFAカレンダーで国際Aマッチが開催可能な3月は独立記念日と離れすぎていて、大会の趣旨から離れてしまうと発言していました。
 それが12月末になると話が一転し、2019年1月にムルデカ大会開催の話が持ち上がりました。しかし国内リーグであるマレーシアフットボールリーグMFLが1月に開幕するため、その開催時期に疑問符が付きました。またこの頃にはムルデカ大会を「リブランディング」するという発言が、FAMのスチュアート・ラマリンガム事務局長が発言し始め、その開催時期も3月という報道が出るようになりました。
 これまでムルデカ大会は8月あるいは9月に行われてきたので、3月に開催する大会にムルデカ大会の名称は使えない、ということだったのかも知れませんが、競合を招待しての国際大会が実現するなら、そこは致し方ないと多くのファンも思ったはず。そして2月の下旬には大会の名称がムルデカ大会ではなく、エアマリンカップとなること、またこのエアマリンカップはムルデカ大会のリブランド版でも、代替大会でもないことが正式に発表されました。

<出場国の変遷>
3月の大会がエアマリンカップとなる前から、FAMのラマリンガム事務局長は、この大会にはアセアン以外の西アジアあるいは東アジアからチームを招待したいと発言し、インド、台湾などが候補に上がっているとも報道されました。
 しかし今年1月に入ると、ラマリンガム事務局長は、エアマリンカップ参加国の内、1チームはワールドカップ出場経験国で、残る2チームはその頃アラブ首長国連邦で行われていたアジアサッカー連盟AFC選手権アジアカップの出場国であると述べました。ワールドカップ出場経験国については「これまでマレーシアで対戦したことがない国で、2014年のワールドカップに出場し、2018年の大陸間プレーオフで敗退した国」というバレバレのヒント(笑)を出し、この条件に当てはまるホンジュラス(FIFAランキング62位)が参加する可能性が取り沙汰されました。アジアカップ出場国については何も述べていませんが、以前FAMのテクニカルダイレクターを務めたこともあるスイス人フリッツ・シュミット監督が指揮するニュージランド代表も候補ではないかという報道もありました。
 その後、参加国はホストのマレーシア(FIFAランキング167位)、オマーン(同ランキング90位、2019年アジアカップ出場国)、ニュージーランド(同122位、当初の噂通り、しかもワールドカップ出場経験国)、そしてシンガポール(同165位、あれ?アセアンからは呼ばないはずでは…)の4カ国となりました。
 しかしここで話は終わりませんでした。その後、ニュージーランドが国内リーグなどを理由に参加を辞退し、同じオセアニアサッカー連盟OFCに加盟するソロモン諸島が出場することが2月25日に発表されました。(写真はエアマリンカップ開催記者会見−FAMのFacebookより)

 公式記者会見も終わり、さて…となったところでもう一騒動起きました。今度はソロモン諸島がエアマリンカップへの出場を辞退したのです。ソロモン諸島代表は3月24日(エアマリンカップ最終日の翌日)に台湾代表とも国際Aマッチを予定しており、3月18日から26日の国際試合カレンダー期間中の代表同士の試合は最大2試合というFIFAの規定があることから、台湾代表との試合を優先し(エアマリンカップは準決勝、3位決定戦、決勝とどの参加チームも2試合を行うことになっています)、エアマリンカップの出場辞退を決めたと報道されています。中国の圧力により、これまで外交関係のあった国々からている台湾にとって、ソロモン諸島は2019年3月現在、台湾と外交関係のある17国の内の1つですので、この背景には政治的な意図などもあるのかも知れません。
 そして大会まであと数週間と迫った3月1 日に、アフガニスタン代表(FIFAランキング147位)がソロモン諸島に代わり出場することがFAMから発表されました。

<ウルトラスマラヤのボイコット>
参加チームが確定した後も、また新たな騒動が起こりました。マレーシア代表チームの最大サポーターグループである「ウルトラス・マラヤ」がエアマリンカップのボイコットを決めたと報じられたのです。
 ボイコットの理由として挙げられているのが、エアマリンカップのチケットの価格です。エアマリンカップでは、オープンスタンドのチケットが35マレーシアリンギ(約960円)と設定されていますが、これまで代表の試合のチケットの価格20マレーシアリンギ(約550円)から75%も値上げされたことに加え、エアマリンカップの主催者がマレーシアサッカー協会FAMではなく、イベント企画会社であることから、この会社が不当にチケットの価格を釣り上げて、マレーシアのサッカーファンから搾取していることに対する抗議のためのボイコットであるとしています。(ちなみにこのイベント企画会社は、過去に代表チームの年間スケジュールや国内リーグの日程を変更させてまでトットナムやリバプールとマレーシア選抜を対戦させた際、ウルトラス・マラヤの怒りをかった前歴があります。)
 35マレーシアリンギのチケット代には、同日行われるもう一つのカードの観戦料も含まれているので結果として割安であるとのFAMによる発言に対しては、大半のファンは見るつもりもないマレーシア代表以外の試合の分も払わせるような発言は価格差を誤魔化すための言い訳に過ぎず、大会の冠スポンサーであるエアマリン社からのスポンサー費用があるにも関わらず、イベント企画会社に主催させること自体がおかしいと非難しました。(下は大会直前の3月18日にウルトラス・マラヤのFacebookにアップされた「ハリマオ・マラヤ(マレーシア代表の愛称)は売り物ではない」のメッセージ

2月26日のニュース:エアマリンカップの開催が決定

3月20日に準決勝、3月23日に決勝と3位決定戦という日程で、4カ国の代表チームによるエアマリン・カップ開催の発表がありました。ブキ・ジャリル国立競技場で行われるこの大会に参加するのは、今年のAFC選手権でベスト16のオマーン、ソロモン諸島、シンガポールと開催国マレーシアです。当初出場予定だったニュージーランドがドタキャンし、ソロモン諸島が代わりに出場することになっています。
 今年から始まる2022年FIFAワールドカップアジア地区予選では、AFCランキングの上位34チームは予選1回戦が免除となり、9月に開催される2回戦からの参加となります。一方、それ以下の国は6月に予定されている予選1回戦からの出場となるため、マレーシアはこのエアマリン・カップで良い結果を残し、何としても34位以内にランキングを上げる必要があります。ちなみに参加国のランキングは以下の通りです。

オマーン(90位、アジア13位)
ソロモン諸島(144位、オセアニア2位)
シンガポール(165位、アジア34位)

マレーシアのすぐ上、34位にいるシンガポールに勝利し、あわよくばソロモン諸島にも勝って、2回戦からの予選参加を確定させたいところですが、果たしてどうなるでしょうか。マレーシアにとっては永遠のライバル、シンガポールも当然、34位を死守する覚悟でしょう。
 なお、マレーシアサッカー連盟FAMは、23歳以下代表選手はこのエアマリン・カップには出場させないとしています。これはAFCU23選手権予選兼東京オリンピック予選が3月22日から26日にかけてクアラルンプールで行われるため、該当選手はこちらに集中させるためとしています。
 ところでこのエアマリン・カップの話は、もともとはムルデカ大会をかつてのような華やかな大会にしようという話からスタートしたはずでしたが、いつの間にか実利的な大会へのすり替わってしまった印象です。だったら、最初からそういう方向で話を進めておけば良いのに、「アジアで最も古い招待大会」「アセアンサッカー連盟AFF所属国の代表は呼ばない」など大風呂敷を広げた結果がこれですかぁ、というのが私の正直な感想です。

2月17日のニュース:KLFAが外国人選手を解雇、MFLは7クラブに追加の経営状況報告書を要求、ムルデカ大会の出場国が決定

KLFAが外国人選手を解雇
マレーシアフットボールリーグMFLの1部スーパーリーグ第2節を終えて勝点0のKLFAは、インドネシア人DFアクマド・ジュフリヤントと契約解除に合意したことを発表しました。昨シーズンはリーグ戦22試合中、途中出場も含めると17試合に出場したジュフリヤント選手ですが、今シーズンは足首の故障が癒えず、これまでベンチ入りもしていませんでした。ジュフリヤント選手との契約は2019年末までですが、彼を含め3人の外国人選手がケガで出場できていないKLFAは、トランスファーウィンドウが閉じる前に、新たな外国人を探すことになるでしょう。ジュフリヤント選手は2019年シーズンの外国人選手解雇第1号となってしまいました。
 なおジュフリヤント選手に代わる選手として、AFCアジアカップのフィリピン代表でもプレーしたルーク・ウッドランド(ブリーラム・ユナイテッド、タイ)が加入する可能性が高く、このウッドランド選手はメディカルテストのため、明日2月18日にKL入りする予定になっています。

KLFAのチームメートに挨拶するJupeことジュフリヤント選手(中央のボーダーシャツ、KLFAのFacebookより)

MFLは7クラブに追加の経営状況報告書を要求
昨日2月15日は、マレーシアフットボールリーグMFLが給料未払い問題を抱える7つのクラブに対し、現在の経営状況に関する報告書を提出するように求めた期限でしたが、この7クラブは全てが報告書を提出したものの、MFLが精査したところ、全7クラブ全てで情報不足が判明したことから、追加の経済状況報告書の提出を求めています。当初はプルリスFAが書類の提出期限に間に合わなかった、といった報道もありましたが、とりあえずは提出できていたようです。それでも追加資料を求められたということは、この7クラブは安心できないでしょう。
 なおこの7クラブとは1部スーパーリーグのフェルダ・ユナイテッド、クアラルンプールFA、マラッカ・ユナイテッド、2部プレミアリーグのプルリスFA、ケランタンFA、ペナンFA、PDRM FCが上記の7クラブです。

ムルデカ大会の出場国が決定
マレーシアサッカー協会FAMによると、3月に予定されているムルデカ大会の出場国が決定しました。開催国マレーシア(FIFAランキング167位)とオマーン(89位)、ニュージーランド(109位)、シンガポールの4カ国が、FIFAのカレンダーに含まれている3月18日から26日にクアラルンプールで開催するムルデカ大会に出場します。



1月24日のニュース:ムルデカ大会の参加国が決定か?

2019年のムルデカ大会は近年になく華やかな大会になりそうです。
ムルデカ(merdeka)とはマレーシア語で「独立」の意味。1957年8月31日にイギリスからマラヤ連邦(当時)が独立したことを祝う大会として始まったムルデカ大会は、アジアで最古の国際招待大会と言われています。しかし近年は、国際サッカー連盟FIFAが規定する国際マッチデーの制約やそもそもマレーシアまで出掛けて代表チームが試合をする意味があるのかなどの理由から、8月に各国の代表チームを招いて開催することが難しくなり、最後に開催されたのは2013年、しかも参加したのはホストのマレーシアの他、ミャンマー、シンガポール、タイのU23代表が参加した、完全に地味な地元アセアンの大会でした。しかもその前は2008年開催でしたので、これをアジア最古の大会云々言われても…という有様でした。

しかし2019年のムルデカ大会は、国際Aマッチデーにあたる3月18日から26日の期間に開催されることになりました。しかもマレーシアサッカー協会FAMのスチュアート・ラムリンガン事務局長は、大会参加国の内、1チームはワールドカップ出場経験国、残る2チームは現在、アラブ首長国連邦で行われているアジアカップの出場国であると述べています。ワールドカップ出場経験国については「これまでマレーシアで対戦したことがない国で、2014年のワールドカップに出場し、2018年の大陸間プレーオフで敗退した国」というバレバレのヒント(笑)を出していることから、この条件に当てはまるホンジュラス(FIFAランキング62位)ではないかと予想できます。アジアカップ出場国については何も述べていませんが、以前FAMのテクニカルダイレクターを務めたこともあるスイス人フリッツ・シュミット監督が指揮するニュージランド代表も候補ではないかという報道もあります。

いずれにせよ、2019年のムルデカ大会の参加国はアセアン以外から招くこと、またFIFAランキングがマレーシア(2018年12月は167位)よりの上のチームを招き、チームレベルの向上とマレーシア自身のFIFAランキング改善が目的であることを、ラムリンガン事務局長は明言しています。アセアン以外にこだわらず、今後もマレーシアの前に立ちはだかるであろうベトナムを呼んで、スズキカップのリベンジ(あるいは返り討ち?)などというのも良いと思うのですが、FAMの方々、どうでしょう。

ちなみにこのムルデカ大会については、日本サッカー協会JFAの記録ページによると、1959年の第3回大会から日本が参加したことがわかります。その後も第5回大会(川淵三郎さんがプレーしています)、対戦相手にビルマ(現ミャンマー)やクメール(現カンボジア)などの名前が見られる第14回大会、釜本邦茂、奥寺康彦と言った日本のレジェンドもプレーした第19回大会、最後の出場となった1986年の第30回大会など詳しい情報が掲載されています。これらの記録を読んで、さらにググったところ個人的に一番興味深かったのがこの記事でした。特に写真は必見です。