撤退表明のエアアジアが一転して来季Mリーグスポンサーに
マレーシアの通信社ブルナマは、今季限りでスポンサーから撤退することを発表していた格安航空会社のエアアジアが、一転して来季のMリーグのスポンサーとなることを発表したと報じています。
Mリーグを運営するマレーシアンフットボールリーグMFLのハミディン・アミン会長の話として伝えられており、最近、行われたエアアジアグループのトニー・フェルナンデスCEOとの会談の席上でトニーCEOから伝えられたということです。
ハミディン会長は、MFLは来季2021年シーズンに向けてより多くのスポンサー獲得に奔走しているということで、エアアジア同様に撤退を表明したマレーシアの金融グループのCIMBグループもスポンサー復帰の可能性があると明かしています。
エアアジアは昨季2019年と今季2020年シーズンのMリーグの公式エアラインとして、またCIMBグループは今季のMリーグ1部スーパーリーグの冠スポンサーとなっていましたが、今期終了後、いずれも契約を更新しないことを発表していました。
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エアアジア・ジャパンは事業を廃止し、またエアアジアグループの中・長距離路線を運行しているエアアジアXは発行済み資本を99.9%減らし、減資で発生した資金を負債返済に充当することを発表するなど、新型コロナウィルスの影響を大きく受けたエアアジアのスポンサー撤退はやむを得ないのかと思いましたが、この発表は意外でした。
代表合宿の1月開催が決定
ブルナマは代表合宿が1月15日から26日までの日程で開催されると報じています。
現在中断されているFIFAワールドカップ2022年大会アジア二次予選件AFC選手権アジアカップ2023年大会予選が3月開催予定の中、当初は3月の大会直前とされていた日程が早まった格好です。
マレーシアサッカー協会FAMのスチュアート・ラマリンガム事務局長はによれば、タン・チェンホー監督はこの合宿には30名程度を招集する予定で、これまで予選に出場した選手に加え、初招集となる選手も数名いるということです。
また今後の代表の予定については、3月初旬にバーレーンとアウェイで練習試合を行った後、そのまま3月25日のアブダビでのアラブ首長国(UAE)戦に臨むとスチュアート事務局長は話しています。FIFAの公式サイトによればUAE戦の後は、3月30日のホームでのベトナム戦、そして最終戦は6月15日のアウェイでのタイ戦が組まれています。
W杯アジア二次予選でG組のマレーシアはここまでの5試合を3勝2敗の勝点9で現在はベトナムに次ぐ2位につけています。
JDTとユニセフが子供たちの人道支援で協力
こちらもブルナマからですが、Mリーグ1部7連覇中のジョホール・ダルル・タジムJDTは東南アジア初のユニセフ(国連児童基金)公式パートナーとなり、子供たちの人道支援を行うことことが報じられています。
ジョホール州皇太子でJDTのオーナーでもあるトゥンク・イスマイル殿下は今回の協力関係について、JDTブランドの国際化をさらに進めるための一環であると話しています。「子供たちのための人道支援はJDTが当初から行なっていることであり、ユニセフとの協力関係はJDTの目的とも一致している。ユニセフは200カ国以上にネットワークを持っているので、今回の協力関係を通じて、世界がJDTのことを知るようになるだろう。」
トゥンク・イスマイル殿下はJDTが単なるサッカークラブではなく、社会に貢献する組織であると話し、1年間と発表されたパートナーシップについて、その後も延長する可能性を否定していないということです。
またトゥンク・イスマイル殿下は来季のユニフォームの胸にユニセフのロゴが載る可能性があるとも話したということです。
サファウィの来季JDT復帰は既定路線
ポルトガル1部のポルティモネンセSCに期限付きで移籍中のサファウィ・ラシドについて、所属先JDTのオーナーでジョホール皇太子のトゥンク・イスマイル殿下は、来季2021年シーズンには100%の確率でJDTに復帰すると語っています。
マレーシア語紙ハリアン・メトロによれば、出演したテレビ番組「ボラ@ママック」の中でトゥンク・イスマイル殿下が明らかにしたもので、2月末に開幕となる2021年シーズンに間に合う様に帰国させると語ったということです。
2018年、2019年とマレーシアサッカー協会FAMの年間最優秀選手賞を受賞している23歳のサファウイ選手は、これまでベンチ入りして入るもののリーグ戦出場はなく、U23リーグの1試合に出場したのみとなっています。
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異国でのサッカーにも生活にも慣れてきたであろう時期の帰国をサファウィ選手自身が望んでいるかどうかはわかりませんが、今後のサッカー選手としての成長と23歳という年齢を考えるとあと数年は我慢して残してもと良いと思いますが、JDTオーナーは別の考えなのでしょう。まさか1年で目に見える結果が出ると思ってはいなかったでしょうが、マレーシアのNo.1選手の海外挑戦としては、あっけなかった印象です。