東南アジアの雄、ベトナムがW杯アジア最終予選で日本と引き分け、中国戦での勝利に続き、勝ち点を上げています。日本がベトナムと引き分け以下に終わったのは、1961年のムルデカ大会で南ベトナムに2-3で敗れて以来、実に61年ぶりと言うことですが、ベトナムの勝利のおかげでムルデカ大会まで引き合いに出されるのは嬉しいですね。
ムルデカ大会は、マレーシアの首都、クアラルンプールにあるムルデカスタジアムを会場に開催されてきた国際大会です。近年のマレーシア代表の弱体化もあり、2013年からは開催されていませんが、この大会はマラヤ連邦(現在のマレーシア)の英国からの独立を記念して1957年から始まった歴史のある国際大会です。(ムルデカはマレーシア語で「独立」の意味です。)
日本代表の戦績アーカイブによると、1959年の第3回大会に初出場した日本は川淵三郎氏や平木隆三氏、宮本征勝氏を擁して予選ラウンドに臨みましたが、香港選抜と1-1で引き分け、その後の再戦では1-4で敗れ、決勝トーナメントには進めませんでした。ちなみにこの年のムルデカ大会は、その香港選抜や南ベトナム(まだベトナムが南北分断されていたため。現在のベトナム社会主義共和国区に統一されるのは1976年)に勝利し、インドと引き分けたマラヤ連邦が優勝を飾っています。
このムルデカ大会での日本の最高成績は1963年と1975年の準優勝で、1963年には台湾に、1976年にはマレーシアにいずれも0-2で敗れています。1963年のチームは長沼健監督以下、杉山隆一氏、松本育夫氏らが、また1975年のチームは二宮寛監督、釜本邦茂主将以下、奥寺康彦氏、清雲栄純氏、田口光久氏、永井良和氏らを要するチームでした。当時のメンバーの中には鬼籍に入った方もいらっしゃるので、まさに歴史が感じられる大会です。
日本がこのムルデカ大会に最後に出場したのは1986年ですが、石井義信監督が率いたこのときのチームには木村和司主将以下、松木安太郎、柱谷幸一、都並敏史の各氏ら錚々たるメンバーを擁しています。準決勝でマレーシアと対戦し、アジアの核弾頭こと原博美氏のゴールで先制した日本に対し、昨季はマラッカ・ユナイテッドの監督を務めたザイナル・アビディン氏のゴールで追いつき、やはり昨季はスリ・パハンの監督を務めたドラー・サレー氏のゴールで逆転勝利を飾っています。
このほか、ムルデカ大会関連では、釜本邦茂氏が大会通算ゴール数2位となる22ゴール(出場18試合)も記録しています。
ムルデカ大会に10年ほど遅れて始まった同様の国際招待大会であるタイのキングズカップはリブランディングに成功して、現在も国際大会として開催されています。現在の154位というマレーシアのFIFAランクでは、招待してもなかなか強豪国は参加してくれないでしょうが、それでも伝統あるこのムルデカ大会を是非、復活させてもらいたいと思います。