9月21日のニュース:マレーシアカップグループステージの日程が発表、サッカー協会事務局長-練習試合はまだ確定していない、ケン・ワーデン元マレーシア代表監督逝去

 今日9月21日はマレーシア時間の午後3時(日本時間午後4時)からアセアン東南アジアサッカー連盟AFF選手権スズキカップ2020年大会(昨年から順延されたため「2020年大会」となっています)のグループステージ君合わせ抽選がオンラインで行われます。(こちらで視聴可能です。)またMリーグ2部プレミアリーグは最終節の第22節が行われ、ヌグリスンビランFC、サラワク・ユナイテッドFC、トレンガヌFC IIによる三つ巴の優勝争いの決着がつきます。またプレミアリーグから5チームが参加するマレーシアカップへの出場チームが決定する可能性もありなど、慌ただしい1日になりそうです。

マレーシアカップグループステージの日程が発表
 マレーシアンフットボールリーグMFLは、今季2021シーズンのマレーシアカップの試合日程を発表し、今大会が100周年記念と日本のサッカー天皇杯と並ぶアジア最古のカップ戦は9月26日(日)にグループステージが開幕します。
 MFLは今回の日程発表に関して、本日9月21日に予定されているMリーグ2部プレミアリーグ最終節の第22節後にもリーグ戦が予定されていること、また10月のFIFA国際マッチデー期間にマレーシア代表は国外遠征を予定しており、帰国後に必要となる検疫隔離期間を考慮したとしています。
 2部プレミアリーグでは、試合前の新型コロナ検査で陽性者が見つかったことから検疫隔離となっていたケランタン・ユナイテッドFCがクチンシティFCと対戦するカードが9月24日に順延となっており、さらにこの試合の結果次第でマレーシアカップ出場チームが変動する可能性があることから、最終的なグループステージの組み分けは9月24日の試合後に発表されるとしています。
 またマレーシア代表は10月4日から12日までのFIFA国際マッチー期間にヨルダンに遠征し、ヨルダン、ウズベキスタンとの練習試合が予定されていますが、マレーシア政府は全ての渡航者に14日間の検疫隔離を義務付けており、マレーシア代表の選手たちもヨルダン遠征後にはこの検疫隔離となり、すぐに所属クラブに合流できないことから、MFLはこの点も考慮した日程を作成したということです。
 マレーシアカップグループステージの日程はこちらです。

サッカー協会事務局長-練習試合はまだ確定していない
 上のマレーシアカップ日程決定の経緯にもあるように、マレーシア代表は10月4日から12日までのFIFA国際マッチデー期間に国外合宿を検討しているとされていますが、マレーシアサッカー協会FAMのサイフディン・アブ・バカル事務局長は、この期間の活動について現時点では何も決まっていないと述べています。
 マレーシア語紙ハリアンメトロによると、新型コロナの1日あたりの新規感染者数が1万5000人を越え続けているマレーシアの現状を考えると、現時点で練習試合を計画するのは困難だと話しているということです。
 サイフディン事務局長は、10月の代表合宿に招集予定の選手が新型コロナ検査で陽性などによりこれに参加できなくなる場合に備えて、予備の代表候補をリストアップすることが重要だと話す一方で、実戦から離れている代表チームのために12月に開幕するAFFスズキカップの前には少なくとも2試合の練習試合を開催することを検討中であるとも話しています。
 「練習試合開催を打診するのが遅れたことと新型コロナの影響で練習試合の相手は現時点では決まっておらず、まずは代表合宿に招集する選手を決定した上で、練習試合を行うかどうかを確定する予定である。」とサイフディン事務局長は述べています。
 代表チームは12月5日から来年2022年1月1日の決勝まで続くAFFスズキカップと来年2月から始まるアジアサッカー連盟AFCアジアカップ2023年大会3次予選が控えていますが、スズキカップをいわば「ふるい」に使ってアジアカップ3次予選に出場する選手を選ぶという方針なのかも知れません。

ケン・ワーデン元マレーシア代表監督逝去
 マレーシアサッカー協会FAMは公式Facebookで元代表監督を務めたケン・ワーデン氏の訃報を伝えています。昨日9月20日に亡くなったワーデン氏は享年78でした。
 英国のプレストンで1943年2月2日に生まれたワーデン氏はオーストラリアで選手、そして指導者としてキャリアを積んだ後、1991年にスランゴールFA(当時、現在のスランゴールFC)の監督に就任すると、この年にリーグ戦(セミプロリーグ1部-当時の国内トップリーグ)では5位だったものの、FAカップ優勝、そしてマレーシアカップ準優勝(優勝はジョホールFA)を達成します。
 すると翌1992年1月には代表監督に就任し1993年末まで代表の指揮を取りましたが、ザイナル・アビディン・ハサン(現マラッカ・ユナイテッド監督)、ドラー・サレー(現スリ・パハンFC監督)、ムビン・モクタル、アズマン・アドナンなどスター揃いだった代表チームはW杯1994年アメリカ大会予選はグループステージで敗退、そして1993年の東南アジア競技大会通称シーゲームシンガポール大会ではベスト4進出を逃しました。
 代表監督を退いた1994年にはライバルのシンガポール代表監督に就任しますが、その年の途中には再びスランゴールFAに戻り、1995年と1996年のマレーシアカップ連覇を果たしました。
 その後、一度はオーストラリアに戻ったものの2002年にはスランゴールFAで3度目となるマレーシアカップに優勝したほか、サバFA(現サバFC)やトレンガヌFA(現トレンガヌFC)でも監督を務め、2015年にMリーグ2部プレミアリーグのKL SPA(現在は廃部)での指揮を最後に監督業を引退していました。
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 個人的には代表監督というよりもスランゴールFAの監督というイメージが強いワーデン氏には、1990年代にスランゴール州のPJオールドタウンにある仕立て屋で偶然に遭遇したことがあります。当時のスランゴール州では趙がつくほどの有名人だったワーデン氏に気づき、拙い英語で頑張ってください!というのが精一杯でしたが、満面の笑顔で「ありがとう」と返事をされて興奮したことを覚えています。店の外に出てもすぐに周りの人々から声をかけられて、それに丁寧に返事をしている姿も印象的でした。ご冥福をお祈りします。
(左はスランゴールFCの右はFAMの公式Facebookに掲載されたワーデン氏の訃報を知らせる投稿)