JDTのACL初挑戦はグループステージで終わる
アジアサッカー連盟AFCチャンピオンズリーグACLのグループステージ、グループEの最終節が行われ、ACL初出場のジョホール・ダルル・タクジム(JDT)はアウェイで慶南FCと対戦し、0-2で敗れ、ベスト16進出はなりませんでした。
前節の鹿島アントラーズ戦でのイエローカードで累積警告により出場停止となったサファウィ・ラシドを欠いたJDTは明らかに攻撃力がダウン、しかも後半開始早々に守備陣の要であるマウリシオも負傷退場するなど苦しい展開でした。
この試合のマッチスタッツを見ても、JDTは劣るどころか、多くのスタッツで慶南FCを上回っているにも関わらずこの結果となったことは、前節で昨年のACLチャンピオンを破ったチームとしては、むしろ悔いが残ります。
また0-1の時点でアキヤ・ラシドやシャフィク・アーマドといった主力を交代させたベンヤミン・モラ監督の戦術も、おそらく4日後の国内リーグ、マレーシアフットボールリーグMFL1部スーパーリーグの試合(リーグ3位のクダFA戦)をにらんだものだと思いますが、国内リーグ戦でもほぼ出場していない選手を投入したことが個人的には疑問でした。
国内リーグのマレーシアフットボールリーグMFL1部スーパーリーグでは、昨年まで5シーズン連続優勝を果たし、今シーズンも残り7試合を残して2位に勝点10差をつけて首位を走るJDTですが、主力の欠場や交代で戦力が落ちないような厚い選手層の構築と最後まで勝利にこだわる監督がACLで勝ち抜くための第一歩になりそうです。
ACL グループE 第6節 結果
慶南FC2-0ジョホール・ダルル・タクジム
得点者:慶南FC-ルク・カスタイニョス(65分)、邦本宣裕(90分)
元FAM会長が死去
マレーシアサッカー協会FAMの会長を務められたスルタン・アーマド・シャー元パハン州スルタン(州の君主)が5月22日に入院中の国立心臓病センターで亡くなられたことが、FAMのホームページや当地のメディアで報道されています。
1984年からマレーシアサッカー協会FAMの会長を務められたスルタン・アーマド・シャー元パハン州スルタン(州の君主)は、現在のマレーシア国王アル=スルタン・アブドラ殿下の父君で、2014年に退任するまで、1989年のセミプロリーグ発足、1996年のプロリーグ発足、2004年のスーパーリーグ発足などマレーシアサッカーの改革を次々と行いました。
しかし故スルタン・アーマド・シャー殿下の30年に渡る会長在任中は順風満帆であったわけではありません。2012年のアセアンサッカー連盟AFF選手権スズキカップでは、開催国でありながら代表チームが決勝に進むことができず、FAM会長として長期在任を疑問視する代表サポーターから引責辞任を求める声が上がりました。その後2014年の改選時には、FAMに加盟する複数の州FAが会長候補として擁立した自らの息子で当時のパハン州皇太子アル=スルタン・アブドラ殿下と会長職を争う可能性もありましたが、故スルタン・アーマド・シャー殿下が立候補を取りやめ、ジョホール州皇太子テンク・イスマイル・スルタン・イブラヒム殿下との決選投票に勝利したアル=スルタン・アブドラ殿下が新会長に就任したことにより、FAM会長に任期を終えました。
FAMだけでなく、2011年から今年の任期満了までAFFの会長を務めただけでなく、1994年から2002年まではAFCの会長も務め、2002年のFIFAワールドカップでのアジア枠の拡大実現に尽力するなど多くの功績も残し、マレーシアだけでなくアジアのサッカー発展に寄与した人物です。
故人の冥福をお祈りいたします。