3月10日のニュース:スランゴール監督が人種差別的な発言を非難

スランゴール監督が人種差別的な発言を非難
 試合後の記者会見と言えば、試合を振り返ってのコメントが一般的ですが、3月7日(土)のペラTBGとの対戦後、スランゴールFCのサティアナタン・バスカラン監督は、記者会見に集まってメディアに対し、クラブの選手を対象とした人種差別的な発言がソーシャルメディア上で繰り返されていることを公表した上で、その行為を非難しています。
 英字紙スター、ニューストレイトタイムズなど複数のメディアが伝えるところによると、サティアナタン監督は、スランゴールFCのインド系マレーシア人のカナダサン・プラバカランがソーシャルメディア上でkeling(「クリン」インド系マレーシア人に対する蔑称)と呼ばれていることを公表しています。
 サティアナタン監督は、プラバカラン選手がプレーしたポジションにはカイリル・ムヒミーンやワン・ザック・ハイカルなど実績のある選手がいながら、プラバカラン選手が起用されたことから、「プラバ(プラバカラン選手の愛称)は(インド系マレーシア人である)私と肌の色が同じだから出場機会を得ていると言う中傷がある」とも話しています。
 この他にも「選手が聞いても喜ばないような軽蔑的な言葉を使う者は果たして本当にサポーターなのか。」「自分はマレー系マレーシア人が多く住む村で育ったが、そのような軽蔑的な言葉が使われるのを聞いたことがなかった。」「近頃、我々(非マレー系マレーシア人)を侮辱するような言葉を聞くたびに、そういった発言をする輩は本当に学校へ行ったのかどうか、と思う。」と話し、人種差別発言者を激しく糾弾しています。
 また、かつてのスランゴールFCの黄金期には、様々な人種がチームにおり、選手たちは一致団結して戦っていたことをサポーターは忘れてしまったのかと問うています。
 スランゴールFCは、昨季も人種差別発言を理由にアントニオ・ジャーマン(現PDRM FC)がわずか3試合でプレーした後に退団しています。
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 これに対して、スランゴールFCを運営するスランゴール州サッカー協会FASのジョハン・カマル・ハミドン事務局長は「どのような対策をとることが最善なのかを決めかねている」と話し、マレーシアフットボールリーグMFLのアブドル・ガニ・ハサンCEO、マレーシアサッカー協会FAMのスチュアート・ラマリンガムCEOはともに自分たちのところには何も情報が上がってきていないとした上で、処分を下すには人種差別発言の証拠が必要であるとし、MFLは行っている人種差別撤廃キャンペーンがそういった問題を少なくしていくだろうといずれも呑気なことを言っており、現場が即時対応した先週のブンデスリーガとは意識の差があるのでしょう。
 サティアナタン監督はインド系マレーシア人で、民族構成の割合で見るとインド系は国内人口のおよそ7%にあたり、人口のおよそ22%を占める中華系とともにいわゆる少数民族です。これに対し約70%のブミプトラ(マレー系やサバ州やサラワク州の先住民族)がおり、マレーシアの人口箱の主要3民族で構成されています。
 多民族国家のマレーシアでは、人種差別は良くあるとは言わないまでも、そういった話題を耳にすることは少なくありません。その一つの理由として、特に近年は異民族間での寛容さが薄れてきたことがあるのではないかと思います。ここで言う「寛容さ」とは、何でも広く受け入れると言う意味ではなく、意見や考えなどが自分と異なる他者を否定しないと言う意味です。
 昔は良かった、と年寄りの戯言のように聞こえてしまうかも知れませんが、私が初めてマレーシアへやってきた30年ほど前には、まだこの「寛容さ」があちらこちらで感じられました。
 しかしその後、選挙に勝つために政治家が民族カードを切るようになり、個人の信仰だった宗教(イスラム教)が社会のルールになるにつれ、「マレーシアは(イスラム教徒である)マレー人の国である」という主張ばかりが聞こえるようになりました。当然ながら非マレー系はこれに反発しますが、そうすると「マレーシアに不満があるなら自国へ帰れ」と、既に何世代にも渡ってマレーシアに住んでいる非マレー系に向かって暴言を吐くマレー系の政治家すら出てくるようになりました。しかし非マレー系だけでなく良識あるマレー系もがその流れにNOを突きつけたのが、前回2018年の総選挙における、英国からの独立以来となる与党の大敗でした。しかし残念ながらそれは長続きせず、マレー系の大政翼賛会的な政府が選挙も経ずに先月、成立しました。
 話が逸れてしまいましたが、他者に対して人種差別をしたことがあっても、自分がされたことがないマレー系マレーシア人は、これがまさに寛容さに欠ける行為だと理解できていないのでしょう。相手を否定することでどうなるかと言うところまで考えが及ばない想像力の欠如です。記事の中でサティアナタン監督が「学校に行ったことないのでは」と述べているのも、知性が感じられない行為を指しての発言と私は読み取りました。